子育てデザイナーズ協会では、子育てを総合的にプランニングして、ノートにまとめる(子育てデザインノートを作る)ということを推進しています。

これが、世の中に広がって、スタンダードとなり、妊婦さんが母子手帳を持っているのと同じように、子育て世帯がみなこの子育てデザインノートを持っていて、自分のこどもが成人した時や結婚した時にプレゼントするみたいな、感じになったら素敵だなぁと、少し妄想したりしています。

話が少しわき道に逸れましたが、ノートにまとめることは、何を意図しているのかと言いますと、
・総合的にに考える(様々な角度から考える)
・可視化する
・効率化する
・迷った時の拠所となる

一つ一つの意味については後ほどお話しようと思いますが、今回は子育てデザインノートを作るきっかけになった、あるエピソードのお話をしたいと思います。

あれはたしか、わたくしの上の子が、まだ1歳半頃の夏だったと思います。

外出先のファミレスで、一人のお母さんとの出会いがありました。

今思えば、当時は子どもが一人だけでしたし、比較的育てやすい子でしたので、我が家は世の平均的な子育て世帯よりは、少し余力があったと思います。

しまじろうのコンサートに行った帰り道、突然の雨に降られて、近くのデニーズに慌てて駆け込みました。
そろそろ夕食時ということもあり、店内は少し混雑していましたが、少し待ったら席が空き、幸いにも4人のソファー席に座ることができました。

「いい席もとれたし、夕食も食べていっちゃおっか?」ということになって、久々の外食を楽しんでいました。

通路を挟んで右斜め前の席に、4歳くらいのお兄ちゃんと2歳くらいの妹を連れた一人のお母さんが、食事をしていました。

お母さんは、自分の隣に妹を、テーブルを挟んで自分の正面にお兄ちゃんを配置していました。

お母さんの前には、トマトソースのパスタがあり、妹の前にはお母さんのパスタを取り分けたお皿が、そしてお兄ちゃんの前にはプレートのお子様ランチがきていました。

お母さんは隣に座っている妹に、パスタを食べさせながら、正面のお兄ちゃんと妹【ゆきちゃん(仮名)】に声をかけています。

「ゆきちゃん、おっきいお口開けて。」

「お兄ちゃんは、次ポテト食べて」

「ゆきちゃん、まっすぐ座って」

「お兄ちゃん、遊んでないで早く食べて」

「ゆきちゃん、もう食べないなら後でお腹すいても知らないわよ」

「お兄ちゃんも、ごちそうさまでいいのね、残すならデザートなしだからね!」

と、大きな声を出し、楽しいはずの外食が、まるで戦場のようでした。

「こどもがテンション上がって遊んじゃうのはある程度しょうがないし、もう少し自由にさせてあげてもいいのになぁ~」
「せっかくの楽しい外食なのに、こうしなさい、ああしなさいと、あんなに言われたら、こどもは食べなくなっちゃうよなぁ~」

と、当時のわたしは思いました。

同時に、「あまり好きなタイプの子育てじゃないな~」などと、不覚にも思ってしまいました。

そうこうしているうちに、我が家の注文もテーブルに揃いました。

いつものように、まずはわたしがさっさとご飯を食べてしまい、その間は妻がこどもの相手をします。

わたしが食べ終わると、チェンジしてわたしのとなりにこどもを座らせて、ご飯を食べさせます。

スプーンやフォークが少し使えるようになっていたので、

「上手に食べれるね~、おいしいね~」

などと、声をかけながら、ぐっちゃぐっちゃになったお皿を整え、テーブルに散らばったパスタを拾いながら、ご飯を食べさせていました。

すると、先ほどの向かい隣のお母さんとこども二人が帰り支度をはじめて、席を立ちました。

帰り支度の時も、相変わらず、

「はい、靴履いて!ちゃんとまっすぐ立って!」

と、苛立った様子で、こどもたちに指示を出していました。

得意なタイプのお母さんじゃないなぁ~と思い、あまり見ないようにしていたのですが、我が家の席の横を通り過ぎる際に、うちの子が食べる手を止め、そのお母さんをじっと見つめていました。

すると、そのお母さんは、さっきまでの表情とは打って変わり、穏やかな微笑みとともに

「もう自分で食べれるんだね~、フォークが上手だね~」

と、とてもやさしい声で話しかけてくれました。

その瞬間、自分の抱いていたお母さんへの印象が、いかに浅はかで、想像力がなく、偏見に満ちたものであったかを痛感させられました。

「このお母さん、こども好きなんだな~」

直観的にそう感じました。

「このお母さん、ホントは、さっきみたいなやさしい声で、上手だね~なんて、声をかけながら、楽しい食事をゆっくりと楽しみたいんだろうな~」

そう、思いました。

軽く会釈をして立ち去る時のお母さんの横顔は、隠し切れない疲れがにじみ出ていて、小綺麗なお母さんでしたが、目元の化粧が少し崩れていました。

「お店でごはん食べて楽しかったね~」

わたしがお兄ちゃんにそう話しかけると

「うん、楽しかった、お子様ランチおいしかったよ!」

そう、元気に答えてくれました。

わたしは、このお母さんをねぎらう言葉をかけたいなと思いました。

「お兄ちゃん元気でいいですね。でも、お母さんはちょっと大変ですよね。」でも良かったでしょうし、ちょっとフランクに「こども二人いると、やっぱり大変ですね~」でも良かったでしょうし、

今思えば、掛ける言葉は何でもよかったのかもしれません。

でも、とっさだったこともあり、この時の僕は、まだお母さんにかける言葉を持ち合わせていませんでした。

「さようなら、」とお母さんにあいさつをし、こどもたちに「バイバーイ」、といった、よくある街で出会った子育て家族同士のあいさつをしました。

そして、親子の去ったあとのテーブルに目をやると、お兄ちゃんの食べ散らかしたお子様ランチと、きれいになった妹の子供皿、そして、まだ半分も食べていない、お母さんのパスタがありました。

気が付けば、夫婦とこども一人いる我が家に対し、そのお母さんのところにお父さんの姿がありません。

伝票に記載された「人数:3名」という文字を眺めながら、表面だけでは見えてこない姿が世の中にはあるな~と、しみじみ思いました。

強烈な罪悪感とともに、頭の中をぐるぐると考えが巡ります。

このお母さんに自分ができることはなんだろう…
何のために保育士になったのだろう…
自分の価値はなんなのだろう…
何のために…

その時には、いくら考えても答えは出てきませんでした。

ただし、この時にもらった強い罪悪感と、何かをやらなければならないという使命感が、およそ半年後に一つの形となって実を結ぶことになります。