子育てデザイナーズ協会を作った理由
2. 子育てを体系的に学べる機会は極めて少ない。
3. 子育てに関する情報は多岐にわたり、信頼できるプラットフォームがなかなかない。
また、情報が氾濫しすぎていて、高度の情報収集能力や取捨選択能力がない限り、独力で学ぶには限界がある。
4. 子育ての課題は、子育てだけを考えても答えは見つからない。
5. 親が幸せでないとこどもも幸せじゃない。
ひとつひとつの子育て法は、正しいことを言っているものがたくさんあるが、一人一人の環境や生活に合わせてカスタマイズしてあげないとうまく適用できない。お父さんやお母さんのこと、仕事のこと、まわりにいる人や日常生活のことなどを総合して考えてみて初めて答えが見つかる。
子育てデザイナーズ協会がやろうとしていること
- 1. 子育てに関するプラットフォームとなり、良質な情報をみんなで共有する
- 2. 子育てのチームを作る
- 3. 一人一人に合った子育てをデザインして、人と比べたり、競争することのない、楽しく充実した、子供と向き合える子育て環境を作る
- 4. 子供が楽しく安心して成長できる社会を作る
- 5. 日本に子育て力を取り戻す
子育てデザイナーズ協会が大切にしている考え方
- ・無理をしない
- ・100点を目指さない
- ・一人でやらない
- ・こどものことだけではく、お父さんお母さん自身のことも大切にする
- ・こどもの世界を尊重して、大人の世界との“妥協点”を見つける
- ・「大変なこと/辛いこと/自己犠牲」がこどものためになるわけじゃない。
- ・子育ては画一的なものではなく、一つ一つがオンリーワンである。
- ・子育てにおいて答えは一つじゃない。一人一人違い様々な答えがあるものである。
- ・こどもは失敗から学ぶ生き物である。
- ・こどもを成長させるには、どれだけ安全に、何回失敗させられるかが重要。
- ・誰にも迷惑をかけないで子育てをすることは不可能である。
代表挨拶
世界一大変な現代日本の子育て。
いつから日本はこどもを育てられない国になったのだろう。
電車の片隅で泣いている赤ちゃんを、「シー、だよ。静かにしようね~」と、周りをキョロキョロしながら、縮こまってあやしているお母さんを見た時。
ファミレスの片隅で、「保育園入園のしおり」を見ながら、大きいおなかを触りつつ、まるで仕事をしているかのように保活の戦略を立てている夫婦の姿を見た時。
こどもの空間であるはずの、児童館や公園でさえ、ちょっと誰かにぶつかればごめんなさいと言い、自分の気持ちの主張やちょっとしたおもちゃの取り合いもすることができないこどもの姿を目にした時。
日本は、何てこどもを育てるのが大変な国なのだろう、強く感じる。
アジア諸国へ旅行に出かけると、飛行機の中でさえ、泣いている赤ちゃんをあやすように話しかけてくれる近くの乗客や客室スタッフ。
ホテルの静かなロビーやちょっと高級なレストランであっても、こどもや赤ちゃんが少しくらいうるさくしたって、まるでBGMかのように誰も気にしていない。
チェーン展開しているコーヒーショップの店員さんでさえ、泣いている子を見かければ、何かを語りかけながら、時には抱っこしてあやしてくれる。
一方で、すべてが計算され、極めて緻密な秩序をもとにして構成されている日本の社会では、和を乱す者には極めて不寛容である。
大人にとっては快適である一方で、何かが一つ崩れたり、乱れると途端に不都合が発生するというもろさを抱えている。
日本にいるこどもは、日本で子育てをしているお父さん/お母さんは、本当に幸せなのかという疑問を持たずにはいられない。
それと同時に、日本という国は社会の成熟とともに大切な何かを忘れてきてしまったのだろうと強く感じる。
何かを変えなくてはいけない、そう強く思った。
大森貝塚を発掘し、日本の人類学、考古学の基礎をつくったといわれる、アメリカの動物学者である、エドワード・シルヴェスター・モースの著書では、こう記されている。
「いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供達の天国だということである。この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく、気持のよい経験の、より多くの変化を持っている。」
「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断していると、子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい」
かつての日本は子育てのしやすい国であったと思う。
現代日本の子育てとかつての日本の子育てを比較すると、よりテクノロジーや仕組みが発展し成熟した現代日本社会での子育てのほうが一見楽になったと思われがちだが、より複雑化した社会での子育ては圧倒的に大変であると思う。
ライフワークバランス、保活問題、ワンオペ育児…
数え上げれば様々な問題があげられるが、社会意識や環境の変化が子育てを大変にしている大きな原因の一つになっているのではないかと思う。
ぼくらが子供の時は、こどもが好き勝手遊べる場所があったし、いたずらや悪いことして近所のおじさんおばさんにもよく怒られていたし、「こどもがやることだから、ある程度はしょうがないよね」という暗黙の”お互い様感覚”が社会全体にあったと思う。
それが、今はどうかというと、社会全体どころか、家庭や親せきの中、子育て世帯の中、ママ友パパ友の中という、いわば味方の中でさえ、ちょっと何かあれば、「●●ちゃんの家は、ちょっとあれよね…」みたいな感じがある。
そうなるのを恐れて、必要以上に気を使い、遠慮をし、距離感を測り、縮こまってしまう。縮こまった親に育てられるこどもが伸び伸び生活できないのは容易に想像がつくと思う。
親にとっても子供にとっても、毎日がしんどい、生きていくのが大変という状況になっているのではないだろうか…
そのような環境下で子育てをしていれば、知らず知らずのうちに多大なストレスが親にかかってくるのも無理はなく、このような環境が児童虐待や育児放棄といった社会問題を作り出しているものであるということもまた事実であろう。
そんな中で、様々な育児情報がブログで紹介されたり、SNSで共有されたり、書籍化されたりしている。
そして、現代日本の親たちは必死に勉強しながらこの難しい戦いに挑んでいる。
一方で、今目の前にある問題に対するソリューションを求めるがあまり、即効性のあるテクニックや考え方が取り入れられる傾向が強く、また“正解”を求めるがあまり、保育園/幼稚園や学校の先生に言われたことや本やブログに書いてあることを“正解”と捉えて、そのまま実行しようとする傾向が非常に強い。
自分やこどもに合った方法は何かという観点が欠落し、こどもに向き合ったり、その子や自分にとって何が一番いいのかを考えるという、本質的なことが置き去りにされている。
それほどまでに、親たちは追い込まれているのである。
解決策は“デザイン”と“チーム作り”
そんな現代日本の過酷な子育て環境を生き抜くための一つの解決策は”デザイン”であると考える。
世の中には様々な育児法やアイディア、便利グッズ、テクノロジーがあり、一つ一つ自体は非常に有用なものである。しかし、高度に成熟化し、多様化した現代日本社会においては、一つ一つの家庭に画一的な方法を当てはめることには無理があり、よかれと思ってやったことが時として裏目に出る、空回りするという状況をしばしば目にする。
高度に複雑化した現代においては、個々の家庭の状況に合わせながら、社会を調和し、共存できるような、そんな子育てスタイルを一つ一つ“デザイン”していく必要がある。
いわばオーダーメイドの服が必須であり、もはや既製品では対応できないほど、一人一人の体型が異なってきているというのが、現代日本の状況ではなかろうか。
子育てしている人は皆戦友である
僕にとって、子育てしている人は皆戦友である。
相性がいい人悪い人、好きな人嫌いな人、害のある人ない人、いろいろいるけれど、自分が助けてもらえば感謝するし、相手が困っていれば手助けしたいと思う。
子育ては競争じゃない!!
自分も妻も、じいじもばあばも、園や学校の先生も、ママ友もパパ友も、隣に住んでいるあの人も、近所のパン屋さんも、ツイッターでフォローしているあの人も、子育て関連NPOのあの団体も、おむつメーカーのあの企業も、「おかあさんといっしょ」や「すくすく子育て」の出演者やスタッフも、アンパンマンやバイキンマンも、広い意味ではみんな”チーム”だと思う。
”子育て”というひとつの広大なプロジェクトに立ち向かうチームである。
それぞれに得意不得意があって、関わり方があって、役割があって、ひとつの社会を作り上げ、こどもたちはその中でいろいろなことを経験し学んで成長していくものである。
そのように一つの大きな“チーム”と考えた時に、子育てとはチームでやるものだということが明確になってくると思う。間違えても親だけでやるものではないのである。
他人と距離を置き、和を乱さないよう、迷惑をかけないよう、日本の現代人はそんな風に生きてきた中で、地域とのかかわり方を、知人や友人との助け合い方を、チームでやるという素晴らしさを忘れてきてしまったのではないだろうか…
そんな日本において子育てデザイナーズは一つ一つの家庭に合ったチーム作りをお手伝いする、そんな存在でありたいと思う。